小学校高学年、そして中学生の頃。
毎日が楽しくて仕方ありませんでした。
だって学校は…友だちとおしゃべりしに行くところだったから!
中学校の授業中(!)ずぅっと隣の子に前の晩に見たテレビ番組のことなどを話しかけていました。
勉強?
それは3ヶ月先まで予習をして問題を解いてあるから、分からなかったポイントだけを聞いておけばすむことでした。
勉強は家でやることであって、学校でせっかく友だちに会えるのにおしゃべりしないなんて、もったいなくて仕方なかったものです。
成績はクラスで1番、そのうちに学年で1番になっていたので、先生もあまり文句が言いづらかったみたいです。
隣に座る子は少し迷惑そうでしたが(^^ゞおかまいなしでした。
—
高校は県内トップの進学校、そのまた進学クラス。
ここで…学校は楽しいものではなくなりました。
「休憩時間でも勉強をしていないのはおかしい」という雰囲気。
むっちゃくちゃオシャベリだった自分が変わってしまいました。
学校を変えたくて生徒会長になり(今まで学級委員にもなったことがなかったのですが)そして成績はトップクラスから100番、200番と落ちていきました。
(悲しい毎日だったけど、行動したことに悔いはないです)
—
小学校の高学年のころは、まだ今でも笑えるほど楽しかった。
毎日帰りにブランコや鉄棒で遊んで、体育館の屋根に忍び込んで天井が破れて落ちて先生に怒られたり。
毎日が笑いにあふれていました。
今でもあれは人生最高の時だったといえる気がします。
—
だから、今の子どもたちにも小学生生活を楽しんで欲しい。
だから、わたしは「中学受験」というのが嫌いです。
小学校5年、6年という最高に輝く青春のとき(と私は思っています)を、なぜに勉強漬けにしなければならないの?
心の葛藤があります。
だから、中学受験というのはもう受け付けません。
—
(お子さまの教育でお悩みの方へ。
小さいころに、読書の楽しみだけ教えてあげてください。
本さえ読めたら、算数でも理科でも出来るようになりますよ)
—
田舎で育ったのは(都会が羨ましかったけど)今にして思えば幸せなことだったのかもしれません。
小学校は、田んぼわきの通学路を道草をくいながら、上級生が常に大将で先導して、メダカをすくったり、強制的に草野球の球ひろいをさせられて。
自然に上下関係や人間関係を学んでいたと思います。
—
今の子どもたちを責めるのは可哀想です。
あぜ道や空き地を奪ってしまったのは、私たちなのですから。
—
塾に強制的に通わされたことも2回くらいありました。
でも、どれも2,3回でやめました。
せっかく学校の授業が終わって、また同じような授業なんて、馬鹿馬鹿しくて、遊ぶ時間がおしくって、やってられなかったからです。
「自分でやって一番になるからいいよ」
芥川龍之介の小説を国語辞書をひきながら読むことに比べれば、教科書をずっと先のほうまで読んでおくなんて、やさしいものでした。
—
なぜ小学生であせって英語をしなければいけないの?
中学校からABCを覚えたっていいじゃない。
「日本語力さえしっかりあれば」英語もどうにかなります。
・・・うん、してもいいよ
でも ムキにならないで
楽しみながら ね
—
それよりも!
遊べよ 遊べ
小学生の仕事は、遊ぶことだよ
ただ、絵本でいいから、虫の図鑑でいいから、本に親しんでね。
—
未来の人生は大切だよ
でも、今の人生、帰ってこない貴重な時間を楽しんでね!
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2 Responses
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おっしゃるとおりです
小学生のうちは小学生にしかできないことがありますものね
塾通いで夜食続きのせいか、メタボ率が高くなっていく同級生を見ていると可哀そうになります。
良い本を沢山読み、ゲームではなくて自然の中で体感する遊び、そういったものから学んでいってほしいと思います。
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>cocoさん
はい、どうしても周囲につられて沢山の習い事&塾に忙殺されるお子さんが多いと思います。
それはそれで仕方ない一面もあると思いますが、健康と、そして自然な人間関係を身につける機会があるように大人も努力していきたいものですね。